2009年5月10日日曜日

5/10 Today 探検家スタンリーが死ぬ(1904)

ヘンリー・モートン・スタンリー - Wikipedia: "ヘンリー・モートン・スタンリー(Sir Henry Morton Stanley, 1841年1月28日 - 1904年5月10日)は、ウェールズ出身のジャーナリスト、探検家。アフリカの探検、またデイヴィッド・リヴィングストンを探し出した人物として有名。"

彼はナイルの源流も発見したのかと思っていたら、そうではなかった。いまだにナイルの源流についてはいろいろ議論があるようなのだ。

つまり一般的な認識は:
ナイル川 - Wikipedia: "ナイル川源流を探ることは古代より行われていた。しかし、サッド湿地などの航路の難所を越えることができず、源流は不明のままであった。17世紀頃には青ナイル川の源流がタナ湖であることがヨーロッパ人にも知られるようになったが、白ナイル川については不明のままであった。1858年にジョン・ハニング・スピークがリチャード・フランシス・バートンとともにヴィクトリア湖を「発見」した。バートンは前年に発見したタンガニーカ湖を源流と主張し、スピークはヴィクトリア湖が源流と主張した。この論争を受けて、デイヴィッド・リヴィングストンがこの地域を探検したが、源流の確定には至らず客死し、その跡を継いだヘンリー・モートン・スタンリーにより、ヴィクトリア湖が源流であるとほぼ確定された。その後も、ヴィクトリア湖に流れ込む川の探検が続けられており、ルヴィロンザ川やカゲラ川などが源流とされるようになってきている。真の源流の探索は21世紀に入っても続けられており、2006年にもブラジルとニュージーランドの探検家が新しい源流を発見している。"

ところがこういう報告がある。日本隊が先に(1969年に)これを発見していたとする主張。知らなかった:
2006年の“新発見”は本当か~ナイル水源再考-JanJanニュース: "大ナイルの水源はどこか? 古代エジプト王朝の時代からの関心事は、19世紀の探検家たちによる激しい競争を経て、1969年の早稲田隊の調査でほぼ解明されたと考えていた。イギリス・ニュージーランド探検隊が2006年に「もっとも遠い源流を新たに発見した」という情報は本当に正しいのか、大いに疑問がある。"


これだけたいへんな大発見であったなら、早稲田隊はもっとちゃんとしたパブリック・リレーションをやっておかねばならなかったね。


ともあれ、スタンリーのヴィクトリア湖はナイルの源流ではなかったかも知れないが、誰もがスタンリーがエライと思っている。またリヴィングストンを「発見」して名文句(Dr. Livingston, I presume ?) を残したことも事実として記憶されるのである。功績は広く認知されて利用されてはじめて功績となる。アメリカ大陸はヴァイキングが「発見」したものかも知れないが、誰もその「功績」は認めていない。自己満足だけではダメ。


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